粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

小桧山調教師のゴリラ写真集

木曜日の競馬の結果

佐賀競馬サマーチャンピオン」…ハズレ

1着 4番グレイスフルリープ(1番人気)△

2着 6番ワンダーコロアール(3番人気)◎

3着 7番タガノトネール(2番人気)〇

勝ちタイム 1:25:7(良)/昨年の勝ちタイム 1:26:2(重・タガノトネール)

コースレコード  1:23:8

 

当日、夕方まではフリーで、部屋の片づけをしていました。レース開始10分前に「サマーチャンピオン」があることを思い出し、「黒潮盃」のようなことがないよう慌ててオッズパークに入力…。

 

結果、そのまま忘れていた方が

良かったのはお約束過ぎ。

 

あと10分片づけに熱中していれば…。

タガノトネールは勝ちパターンの競馬でしたが、逃げたグレイスフルリープを捕らえることができず、逆に後方からワンダーコロアールに差されて3着。陣営は斤量57.5キロは見込まれたと言っていましたが(サマーチャンピオンハンデ戦)、グレイスフルリープは57キロ。昨年武蔵野S2着だった力は戻っていないか。セン馬は牡馬よりも競走能力の衰えが遅くなるといわれていて、まだ6歳だけに、ここで下り坂ということはまだないはず。

本命ワンダーコロアールは出脚が悪かった。最後は末脚を伸ばして2着に連対しましたが、後方だった分特別末脚が切れていたわけでもなく、タガノトネールが失速して2着を確保したという感じ。好位でもグレイスフルリープを捕らえていたかは微妙で、勝った馬が強かったというしかない。

単穴フミノファルコンは道中ワンダーコロアールとほぼ同じ位置で、仕掛けもほぼ同時に見えましたが、こちらはさっぱり。ハンデが地元馬と1キロ違うだけの53キロ、後方からの脚質で上がり3ハロン39.4は笑うしかなく、ヤネが松田云々以前の問題。フミノ応援団shugoro氏には悪いのですが、今の状態では地方に降ってもまったく通用しない。

 

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話変わって、JRA小桧山悟調教師のゴリラ写真集。「権兵衛を倒せ!」の賞品用と自分用に2冊購入。この「異色の調教師 ゴリラ愛炸裂!」などというキャッチフレーズがデカデカと記され、いかにもネタっぽく面白半分で購入したのですが、意外というか当たり前というか、中は至って真面目。

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まあ小桧山師は飽く迄競馬の調教師。プロのカメラマンではないので写真のクオリティは正直目を見張るほどではない。売れないプロのカメラマンが見れば、これならオレの方がよっぽど上手く撮れるぜ。競馬の調教師という肩書の珍しさで写真集を出してもらってるだけじゃねえか、と不遇をかこつかもしれない。

でも問題は写真のクオリティではなく、見た者が被写体に関心を示すかどうか。私はゴリラ―ひいては自然科学全般にそれほど強い関心がなかったので、実に新鮮でした。この本を買うのは、私のようなもの好きな競馬ファンか、ゴリラだったら何でもいいというゴリラ中毒者でしょうが、アフリカのゴリラを知るということに関して、いい入門書になるかもしれません。税込1200円は、高いとは思いませんでした。笠松競馬場でしょうもないCクラスの一般戦に手を出してやられたと思えば。

小桧山師は研究者のような特別な存在ではないので、一般の観光客らとともに「トレッキングツアー」という野生のゴリラ観察ツアーに参加する。写真集では小桧山師がルワンダキガリ空港に着いてから、ヴィルンガ国立公園に行き、トラッカー(資格を持つ案内人)やレンジャーの指示に従って行動する、ツアーの一連の流れも詳細に記されています。

ルワンダといえば、今でこそ小桧山師のような普通の日本人が行ける国なのですが、1994年のフツ族ツチ族ふたつの部族による、壮絶な殺し合いが記憶に新しい。私は昔、NHKで放送されたルワンダの大量虐殺を扱ったドキュメンタリー番組を録画したテープを未だ持っているのですが、映像の中で鉈や手斧で殺された人間の死体が普通に道端に転がっているし、今でも「ルワンダ」でグーグル検索すれば、そんな写真が山ほど出てくる。現在のシリアばりの無法地帯だったのですが、シリアと違うのは、ごく普通の一般人がメディアに扇動されて殺し合ったこと。小桧山師の写真集の中には、ゴリラだけでなくアフリカの子供たちの写真も多く掲載されていて、皆笑顔で写っている。内戦前の子供たちもカメラを向けられれば同じ笑顔を見せたはず。そう思うと平和というものが如何に脆くかつ大切なものであるかがわかる。

話をゴリラに戻せば、私は特定の神様を畏敬崇拝することはありませんが、神様もしくはそれに近い存在―自然こそがそれなのかもしれない―の実在は信じています。小桧山師は自身の写真集に「GORILLA  MY GOD 我が神ゴリラ」という題名を付けている。写真集を見ていると、ゴリラを神とは思わないけれど、神の代理として地上の人間を見ていると思えてくるのです。

ゴリラではなく猿だけれど、陳舜臣氏が小説「新西遊記」のはじめの方で、猿が人間と近い形状をしていることに触れて、こんな一文を続けています。

―猿がこの世にいるおかげで、人間はこの程度の思いあがりですんでいるのかもしれない。猿がいなければ、人間のことだから、自分たちを神さまだと考えるだろう。

お猿は人間をやや謙虚にした。これも自然の摂理であろう。

陳舜臣「新西遊記(上)」講談社文庫)

小桧山師が記すところによれば、人づけ―餌を与える等で、人間が敵意を持っていないことを自然動物に理解させること―されたゴリラはチンパンジーや他の猿と違って、目を合わせても大丈夫だそうです。観光客とゴリラの距離は制限されているのですが、それでも7メートルという至近距離ではないが、決して遠くもない距離で、攻撃することもなければ逃げることもない。若いゴリラは示威行為のようなちょっとしたパフォーマンスを見せることもあるそうですが、リーダー格は泰然自若で、人間の存在を気にかけることもない。

ゴリラというのは人づけの有無に関わらず本来穏やかな動物で、映画「猿の惑星」のパクリでありながら、本家より100倍面白いと私が断言する円谷プロの特撮ドラマ「猿の軍団」では、チンパンジーが攻撃的で、軍を掌握しているのに対し、ゴリラは平和主義的な立場をとり、過去(20世紀)から迷い込んだ主人公たち人間を擁護する(「猿の惑星」は、チンパンジーが理性的で、ゴリラは攻撃的)。

小桧山師が夢中になるゴリラとは対照的に、サラブレッドは人間の一方的な思惑で配合を繰り返し、今日まで作り続けられた非自然的な存在。自然に放たれても生き残ることができないばかりか、人間の手を借りずに自分たちだけで交接することもままならないらしい。人間は自らの欲望のために既に神もしくは自然の意に基づかない存在を幾つも作り出している。そのうちのひとつに携わる人間が、ゴリラを神と仰ぐのは、小桧山師には悪いのですが、皮肉と言っていいのかもしれません。更には、神が暮らす山の麓で、同じ種である人間たちが、部族が違うというだけの理由で、100日で同じ人間をアフリカの全ゴリラの数以上殺した(犠牲者は50~100万人。ゴリラの数は10万頭ほど)。

現在ゴリラは絶滅危惧種にあり、中には推定150~200頭しかいない種もいる。ゴリラがこの世からいなくなったときこそ、人間が神から見放されたときと考えていいかもしれません。