粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

笠松競馬場でのデムーロのトークショー

今から丁度2週間前の8月13日、笠松競馬場ミルコ・デムーロ騎手のトークショーがありました。ショーには若手騎手の川又賢治も同伴。トークは第6R後、第8R後と2部構成。

貧乏暇なしの私は8月はこの13日だけが終日フリーで、しかも前日の関屋記念デムーロにちょっと儲けさせてもらったということもあり、行ってみるかと。最近は車で行くことが多いのですが、お盆で道中渋滞に巻き込まれる可能性もあること、それに駐車場もいっぱいなのではということで電車で行きましたが、笠松駅の手前、車窓から駐車場を見下ろすと、完全に満車状態でした。まあ、馬券の結果から先に言えば、関屋記念デムーロに儲けさせてもらった額の3倍を笠松競馬でふんだくられた。

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その日は灼熱地獄の今年の夏の中でも、だいぶマシな方でしたが、それでも暑いには違いなく、2度目のトークのときにはデムーロも川又も「好きです 笠松競馬」Tシャツを着ていた(ちなみにこれはスタッフオンリーで売っていない)。2度ともトーク前から結構場所取りして暑い中待っている人が多く見られました。中央の競馬場に行けば好きなだけデムーロ見れるやん、と思うのですがトークショーはやっぱり違うものがあるのでしょう。

デムーロは弟・クリスチャンも騎手で妹も騎手だった(現調教師)のですが、どうも父親も騎手だったらしい。ところがどうもあまり父は騎手としては冴えなかったようで、騎手になった後、会う人会う人に「父親のようになったらダメだぞ」と言われたらしい。それは本当かジョークかはわかりませんが、当人はイタリア人らしく大のサッカーファンで、子供の頃の一番の夢はサッカー選手、騎手は選択肢の中でも一番最後だったとか。

来日以降すっかり日本が気に入り、短期騎乗の期間が終わると「仕方なく、嫌々」母国に帰ったそうで。デムーロに日本で通年騎乗する決意をさせたのは、当時母国イタリアの経済が危機的状況にあり(今も良くなったとは言い難い)、影響は競馬界にも及んでいたこと。とはいえマネーのために割り切って一年中民族も文化も何もかも違う遠い異国で暮らすなどということは簡単ではない。私の姻戚にイギリス人がいて、たまに日本に来ますが、妻が日本人で、娘は日本語ペラペラなのに、当人はまったく日本語を話せない。これは日本に対する思い入れがないから。長年日本に滞在しながら日本語がまるで解せない野球選手やサッカー選手はざらにいて、彼らはおそらく日本をビジネスの場としか考えていない。デムーロはやはり心から日本そのものが好きなのでしょう。

会場の写真を見ればおわかりのように、通訳はおらず、普通に日本語で話し、司会の長谷川満氏とスムーズにやり取りをかわす。昔、「サタうま」という競馬バラエティー番組(西日本で放送)でデムーロの特集をやったとき、瀬戸口勉厩舎の大仲(休憩所)らしき所で、今は亡き瀬戸口勉調教師と取材に応じ、そのとき「オチンチン」を連呼し、「センセイのオチンチン、ちっさいネ」などと放送コードに触れそうなことを言っていましたが、川又曰く、やはり下ネタのボキャブラリーはやたら豊富らしい。まあ、現役時代の藤田伸二の暴露本を読めば、短期で日本で来ていた当時のデムーロにそんな言葉を仕込みそうなヤンチャな騎手は幾らでもいるのだから。イントネーションが関西弁っぽいのは通年の免許を貰う前からずっと栗東を拠点に活動していたから。

デムーロ、川又にそれぞれ印象に残る馬ベスト3を挙げてもらったところ、意外にも彼をダービージョッキーにしたネオユニヴァースは3位。2位がディープインパクトで1位は2度目に彼をダービージョッキーにしたドゥラメンテでした。

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思えば、私の初めての競馬である2003年ダービーの勝ち馬はネオユニヴァースで、馬連、ワイドを的中させた私にとっては初めて馬券でお世話になった人でもある。どちらかといえば3着ザッツザプレンティがあまり人気しなかったのでワイドが結構つき、同馬の鞍上だったアンカツの方がイメージが強い。あのときハズれていれば、後の競輪やオートレースがそうだったように、ああ競馬とはこういうものか、とりあえずは経験したぞと納得し、以降やることもなかったかもしれません。よくよく考えれば、ミルコ・デムーロは私を破滅への道へと誘い込んだ張本人のひとり。

そんな2003年ダービーですが、デムーロのダービー制覇を快く思わなかったホースマンは少なからずいたらしい。アメリカやフランスならともかく、競馬二流国とされたイタリアの騎手。デムーロが知ったかどうかわかりませんが、そんな二流国イタリアの騎手に勝たれて、日本のダービーの権威が落ちたとか、口さがない連中もいたようです。私からすれば、当時も今も、日本競馬がそんなに世界でデカいツラできるほどのレベルか?と思うのですが。あれから15年、上がったのは馬の能力ぐらい。どうせそういう輩は今では自分とこの馬に騎乗して欲しいと、手揉みしながらデムーロのエージェントに擦り寄っているのでしょうが。

そして2012年、エイシンフラッシュ天皇賞秋を制し、ターフ上で下馬して―ルール上は禁止だったが、場合が場合なので不問にされたー今上天皇に最敬礼した際、イタリア人騎手が天覧競馬を制したことに対し、誰も悪く言う者はいなかった。いたとしてもそんな声はデムーロを称賛する声にすぐにかき消された。9年で、デムーロは誰もが認める超一流の騎手になったのです。

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川又の方は、2016年UAEダービーで強く印象に残ったユウチェンジ。2017年デビューから1年間、川又が所属していた森秀行厩舎の馬で、このレースではモレイラが騎乗で7頭立て3着。デムーロも同厩のオンザロックス(5着)に騎乗していて「何でボクがユウチェンジじゃなかったの?」と横からコメント。2位は彼に初勝利をもたらし、武豊鞍上で今年のプロキオンSを制したマテラスカイ。1位は1度だけ調教に乗せてもらったが、そのとき乗り心地に衝撃を受けたキタサンブラック

 

馬券に役立つかどうかわかりませんが、デムーロが特に大切にするのは第1レース。1番人気の馬に跨る機会が多く、ここで勝つかコケるかが、その日一日の運勢を左右するそうで。だから第1レースで人気を背負って負けると一気にテンションが落ちてしまいー野次も飛ばされるし―、もう一度第1レースをやり直して欲しいと思うそうです。誰か興味がある方がおられましたら、第1レースの成績とその日全体の成績との関連性を調べてみては如何でしょうか?

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それにしても私が関心したのはデムーロの日本語もそうですが、長谷川満氏の進行。これまで赤見千尋アンカツとのトークショー笠松で観たのですが、どちらも大盛り上がり。無論、赤見千尋のユニークなキャラクター(そのときまで、ここまで面白い人とは思わなかった)、アンカツの天然キャラがあるのですが、それをグイグイ引き出している。デムーロも結構ユーモアのある人のようですが、時には同席している川又をダシに使ったりしてあそこまで饒舌に話したのは、長谷川氏のトークテクニックに乗せられたというのもあるでしょう。

ちなみに第1回目のトークが終わった後、デムーロに握手を求めてきたオヤジがいて、デムーロも応じたのですが、観客の真ん中を割ってあまりに自然体(?)で堂々(?)としていたので、長谷川氏も思わず「関係者だと思いました」とそのシーンにツッコミ。

 

それにしても、デムーロは翌日盛岡競馬場の「クラスターカップ」の騎乗があったのによく暑い中来てくれたものです。ひとえに感謝。川又も、最近あまり若手騎手を知らない私の中で、はっきりと存在が根付いた。最初は栗東の森厩舎所属で、騎手は最初から全員フリーで競争すればいい、と公言していた森秀行師が引き受けたというのは意外な気もしますが、厩舎の方針もあって地方交流競走への遠征が多かった。1年でフリーになったのは師匠が「これなら独り立ちできる」と判断したのもあったかもしれませんが、確かに1年目で9勝だったのが、フリーになった今年は中央だけで28勝。フリー以降も地方で積極的に騎乗。特に笠松では交流戦の前にも地元の馬に騎乗することがよくある。地元馬だけのレースだから手当てや賞金にJRAの補填はないはずで、川又本人の機会あればひとつでも多くレースを経験したい、という気持ちによるものでしょう。

ただトークの前にふたりは笠松の馬券を買っていたようですが、買う方は全然ダメ。デムーロパドックで「こんなゴトゴトした馬乗りたくないよ」と消した馬が勝利。中央の騎手が地方競馬の馬券を買うという企画はテレビでもたまにあるのですが、まともに当たった記憶がありません。まあでも、なるほど。ミルコ・デムーロですら当たらない笠松が、私に当てられるわけないだろう!と。