粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

オジュウチョウサンのオーナーのコメントに思う。

有馬記念である意味レイデオロを差し置いて主役だったオジュウチョウサンでしたが、結果は9着。ただ、個人的には大健闘だと思います。私はレース前、まずGⅠのペースについていけるのか?と危惧したくらい。それこそミッキースワローのように後方ポツン1頭—しかも横山典弘のように好きこのんでそうしているわけでなく、ついていけない―というケースすら想定していました。しかし4コーナー過ぎて2番手、直線も途中まで粘りました。勝ち馬とのタイム差は0.8秒。9着という着順ほど勝ち馬に突き放されたわけではなく、同じく先行していたクリンチャーやサウンドオブアースがブービー、殿負けを喫したことを考えれば見せ場充分の大健闘といっていい。ファンたちは障害チャンピオンの、平地のグランプリでの大健闘を讃え、鞍上の武豊も厩舎スタッフたちもスタンドの惜しみない賞賛を感じ取り、感動した。ただひとり、不満を持っている人物がいました。オーナーの長山尚義氏。

レース前、3着以内に入線したら、ドバイ、宝塚記念凱旋門賞にしか出ないと大言壮語。レース後は「敗軍の将兵を語らず」と、よくわからないけれど悔しさは伝わるコメント。このレースを観戦した障害時代のパートナー・石神深一も「オジュウチョウサンが負ける姿は見たくなかった」と悔しがったそうです。問題は「語らず」と言いながら「武豊君にはもっと積極的に乗って貰いたかった」と不満をこぼしたところ。マスコミの中にはさすがにこれは…と思ったのか、武豊や厩舎関係者のコメントは載せても、長山氏については、直接コメントを掲載せず、今後も平地での挑戦を続ける意向…と濁しているところもある。

この長山氏のコメントに対して一部ファンたちが反発。長山氏には氏なりの計算があったのでしょうが、確かに誰が見ても武豊の騎乗はケチのつけられないものでした。何よりファンたちが不満に思っているのは、厩舎関係者や武豊、そしてオジュウチョウサンの健闘を讃えたスタンドのファンたちに対する感謝の言葉が何もなかったこと。平地では1600万条件のオジュウチョウサン有馬記念に出走できたのは、ファン投票で3位に推され、優先出走権を得られたからで、レース後ファンへの感謝の言葉があってもいいというのは道理に適わなくもない。

較べてはいけないと思うのですが松本好雄氏や小田切有一氏であれば、馬の健闘を讃え、武豊や厩舎関係者、ファンへの感謝のコメントを決して忘れないでしょう。長山氏もそうすれば、某大手競馬サイトの掲示板で読むに堪えない醜い言い争いが起き、どことなく後味の悪い結末にはならなかった。

 

ただ…松本好雄氏のような好人物や、小田切氏のように、競走馬はオーナーではなくファンのために存在している—小田切氏は若い頃、一昔前の韓国競馬のように馬主は存在しないと本気で思っていて、馬主がいることにショックを受けたらしい—と断言できる人は少数でしょう。

森秀行師の著書に、馬主について印象的なことが記されています。

—馬主の世界は意地とメンツをかけた戦いでもある。それぞれの世界で人生勝ち組の人ばかりだけに、自分が負け組に入ることなんてことには耐えられない。プライドを保つためにも、彼らは勝つことに真剣だ。

(森秀行「勝ち続ける秘訣」2005年アスペクト刊)

私個人は、あまり「内部」には立ち入らず、適当な距離を置くことをモットーとしているのですが、時折馬主の方と接する機会がある。実に好印象の方もおり、思わず「笠松に馬預けてもらえませんか」と関係者でもないのに営業してしまったり(その時は手を広げず、少頭数でやっていきたいとやんわり断られましたが)、一方で笑顔で相槌を打ちながら内心「この人から馬預かっている調教師はストレスハンパないだろうなぁ」と思ってしまうアクの強い御仁もおられる。それなりに人生やってきて思ったのは、「一将功成りて万骨枯る」で、勝ち組になった人の下には、骨にはならないにしても数多の泣いた人がいる。そういうわけで、馬主の割合としては絶対に人を押しのけ蹴落としケツ叩き、その繰り返しの末に馬主に相応しい地位を得た人の方が多いはず。

長山氏が散々人を泣かせてきたかどうかはさておき、負けず嫌いなことだけは確かでしょう。オジュウチョウサンに些か期待を膨らませ過ぎた嫌いはあるにしても、負ければすこぶる気分が悪い。気分が悪いところでコメントを求められ、「敗軍の将兵を語らず」と憤懣を抑えたものの、それでもふとした隙に「武豊君が…」と憤懣が漏れてしまった。そんな感じでしょう。ファンに対して感謝の気持ちはあるけれど、レース直後だけに、負けた悔しさばかりが先に出てしまったのかもしれないし、そもそもファンなんかまるで眼中にないのかもしれない。有馬記念でファン投票3位になったのは「オレの」オジュウチョウサンが強いからであって、当然のことだと思っているのかもしれません。

たとえ後者だとして、それで長山氏をどうこう言うのもちょっと違うのでは?と感じてしまいます。私たちファンは馬主という人種に、皆が皆松本好雄氏のような好人物でなければならないと過度な理想を抱いているのでは。前掲の某大手競馬サイトの掲示板の中には、オジュウチョウサンに限らず誹謗中傷の応酬も多いけれど、一方で、馬に愛情を持ちすぎているようなコメントも多々見受けられます。馬名の後ろに「ちゃん」をつけ、凡走したのに「よく頑張ったね」と。そういう人たちは、愛している馬を所有している馬主もそれに相応しい、温厚な紳士淑女なのだと思ってしまいがちなのでは?馬に愛情を注ぐことを否定はしませんが、だからといって馬主に感謝を求めたり、理想的なコメントでないから叩くというのは別。馬とオーナーは切り離して考えた方がいいと思います。

そういえばオグリキャップ笠松から中央に移籍する際、小栗孝一氏の手から離れたのですが、オグリキャップのファンは馬と中央のオーナーを切り離して応援していたのでしょうか?昔は「機動戦士ガンダム」や「Fate/stay night」とコラボするほど競馬場はソフトではなかったし、ファン層も幅広くなかった。刺すか刺されるか、とまではいかないにしろダフ屋コーチ屋地見屋と今では絶滅危惧種の怪しい輩が有象無象と徘徊していた。そんな時代であればネットの普及度に関係なく長山氏の発言がこれほど非難されることはなかった。ファンの存在を意識する馬主が増えてきたのは、「ダビスタ」を機に競馬ファンの裾野が広がってからなのでは?今回の件は、変わった時代と変わっていない馬主の間の齟齬といえるのかも。

そんな昔に出てきた言葉なのか、「走る畜生、乗る他人」という言葉もあります。馬をギャンブルの駒としか見ないのもひとつの考え。そういう人は長山氏の言葉に何も反感を抱かない。ただ当然そういう人はオジュウチョウサン有馬記念出走に何の感慨もなく、「分不相応な馬が調子こいて出てきて、一頭分絞りやすくなった。むしろファンが応援馬券を買って養分が肥えるから馬券的に面白くなる」と思ったでしょうし、オジュウチョウサンに何かあっても、ギャンブルの駒に過ぎないから何ら痛痒を感じません。

長山氏のコメントはオジュウチョウサンを応援する周囲の熱気に水を差したことに違いはないでしょうが、馬や馬主とファンの距離を考えるにはいい機会になったのかもしれません。私は中間辺りでしょうか。思い入れのある馬も過去に何頭かいましたが、今は好き嫌いの感情で馬券を買ってもロクな結果にならないし、ある程度馬を駒だと割り切って馬券を買うことにしています。一方でもし競馬をギャンブルとしてだけで捉えているならば、元々ギャンブルが好きというわけでもないので、とっくにやめているでしょう。負け続けても懲りずに馬券を買うばかりか、何万円も出して自腹で賞品を用意し、自分は馬券をハズして損こいたのに、当てた人に賞品をあげるなどという呆れた企画なんかやりはしないわけで。