粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

星野仙一氏の訃報に接して。

角居勝彦厩舎が2021年2月をもって解散するとのこと。理由は角居師が、祖母が勤めていた天理教の役職を継ぐからだそうです。競馬界云々ではなく飽くまで個人の事情であり、角居師も長く考えた末の決断だということで、私個人はこの件については特に言及することはありませんし、何より3年後の話。これから角居厩舎に新馬を預託したいと思っている馬主たちのこと(3年後、他厩舎へ転厩しなければならない)を考慮し、予め馬主たちに知らせたようで、その辺りの配慮は角居師らしい。角居師自身から公式に発表されたわけではないようですが、別段秘匿しなければならない話でもないので、私たち下々の者たちにも届いたということでしょう。3年後にまだこのブログがあったら、角居師の業績を振り返ろうかと思います。

 

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それよりもショックだったのが、星野仙一氏の訃報。

これまでは有名人の訃報に接しても、あまり心揺らぐことはありませんでした。例えば最近では高倉健氏や菅原文太氏。偉大であることは知っていても、彼らスターの全盛期をリアルタイムでともにしたわけではない。

星野氏についても、現役投手時代については知りません。ただ、監督時代は私もプロ野球ファンで、やっぱり地元ということでドラゴンズファン。1987年(就任は86年シーズンオフ)からの第一期星野政権は、とにかく燃える闘魂とバイオレンスが前面に押し出され、乱闘に参加しなければ罰金といわれた「星野組」はみのもんたの「プロ野球珍プレー好プレー」でも格好のネタにされていました。印象に強く残っているのは、確か96年からの第二期政権だったと思うのですが、宿敵巨人との大乱闘。バット片手に乱闘の輪の中に入ろうという中日ユニフォームの人物がいて、それを見た巨人の選手かコーチが横から慌ててそれを取り上げた。バットを取り上げられた人物は、星野監督終生の参謀・島野育夫ヘッドコーチ(故人)でした。この頃は第一期政権のようなバイオレンスは幾分陰をひそめていましたが、それでも時折ベンチの扇風機を殴って壊していたような。

そういうわけで、多分第一期の方が派手だったと思うのですが、私は96年~2001年の第二期政権の方が印象に強い。というのも当時は大学生でカネはないけどヒマはある。プロ野球のためにニッカンスポーツを定期購読し(当時の私は競馬欄は完全無視)、毎晩フジテレビの「プロ野球ニュース」は欠かさず、セ・パ両リーグ、全球団2軍のコーチまで把握していた。優勝した99年の中日は、先発投手は6回まで試合を作れば良かった。7回から8回は、右は落合英二、左はサムソン・リー岩瀬仁紀、そして9回はソン・ドンヨルという黄金継投。負けていても正津英志中山裕章らが踏ん張り、容易に試合を壊さなかった。私はプロ野球の中では継投が好きで、横浜(現DeNA)の盛田幸妃(故人)から、今はすっかり競馬界の顔になった佐々木主浩への継投に痺れていました。ゲームセンターの野球ゲームでも、格好つけて左のワンポイントリリーフなんか使ったりしていた。野手陣も大豊泰昭山崎武司関川浩一愛甲猛ら個性的な面々で、落合時代に主力となる荒木、井端はまだ出場機会を窺う若手でした。

その後中日は、第二期星野政権で投手コーチだった山田久志監督を経て、落合博満監督の長期政権時代に。第一期星野政権で、驚愕の1対4のトレード(しかも、その4人の中に牛島和彦投手ら主力級が含まれていた)で獲得したのが当時現役の落合博満でしたが、実はあまりソリは合わなかったらしい。中日から星野色を完全払拭し、「オレ流」で黄金時代を築いた落合監督でしたが、星野監督落合監督の違いは、落合監督は去る時に何も残さなかったということ。「オレ流」は落合監督自身の采配だからこそ結果が出る。しかも落合氏は監督としては稀有な才能を持っていたけれど、ゼネラルマネージャーとしては決して評価できるものではなく、以後中日は今に至るまで長い暗黒時代を彷徨うことになるのです。かつての阪神のように。星野監督阪神楽天というセ・パ両リーグの常敗ドン底球団をリーグ優勝(楽天では日本一)に導き、両チームとも以降は決して弱小球団ではなくなった。それについては、両球団とも前に野村克也監督が采配を振っていて、野村監督が植えた種を、星野監督が花開かせたとよくいわれます。まず技術を野村監督が伝え、その後「やる気」を星野監督が起こさせることで、野村監督が伝えた技術が現実のものになる。それは選手自身が身につけたものなので、監督が替わっても消えないのです。

というわけで私の興味がプロ野球から競馬に替わるまで、星野仙一はずっと第一線であり続けました。あと、巨人を終生の宿敵と位置付けながら、巨人の偉大な先輩たちには決して礼を失わず、敬愛の態度をもって接した。星野氏をドラフトで指名すると約束しながら、その約束を破った巨人の当時の監督は川上哲治氏だったのですが、後に解説者として一緒に仕事をする機会ができた。川上氏は、現役時代、一貫して打倒巨人に執念を燃やし続けていた星野が自分にどういう態度で接してくるかと警戒していたら、あまりにも礼儀正しいので驚いたとか。

 

同じようにずっとテレビを通じて親しみ続けた有名人の死で、いかりや長介もショックでしたが、今回の星野仙一氏ほどではないのは、当時私はまだ若く、死というものを別次元のものと捉えていたからでしょう。これから先、だんだんとテレビ等で長年親しんできた有名人やミュージシャンがこの世を去っていき、その都度だんだんと死が身近なものに感じられてくる。そんな年齢になったのかもしれません。