粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

桂歌丸師匠と加藤剛氏を悼む。

「JDD」の予想でちょっとネタにしましたが、落語家の桂歌丸師匠と俳優の加藤剛氏が亡くなりました。歌丸師匠が享年81歳、加藤氏が80歳。

桂歌丸師匠は笑点で、六代目三遊亭圓楽がまだ楽太郎で、楽太郎とともに回答者側だった時代、楽太郎がジジイとかミイラとか、歌丸師匠の容貌を揶揄するネタを連発するので、毎週視ていた当時—主にカネはないけどヒマはある大学時代―は、結構な高齢かと思っていたのですが、新聞で師匠を紹介する記事を読み、まだ60ちょっとなのかと驚いた記憶があります。後に「落語芸術協会」の会長(副会長は三遊亭小遊三)になり、師匠である三遊亭圓生が叛旗を翻したため、「落語協会」から干された五代目、六代目圓楽を中心とした「大日本落語すみれ会」(現在は「圓楽一門会」)や、同じく落語協会から脱退した立川流に興行の場を提供したりしていました。特に楽太郎の六代目圓楽襲名披露には積極的に協力したこともあるのですが、その楽太郎がしきりにネタにしていた、実年齢より老けた容貌が、自ら「病気のデパート」とまで自虐ネタにした長年に亙る様々な病気との「付き合い」によるものだと知ったのは晩年のことでした。

特に晩年は、煙草の喫い過ぎによる肺気腫や肺炎に苦しめられた。私が3年以上前に煙草をやめたのは、肺ガンの疑いをかけられたときの恐怖から、と前のブログに記したことがありますが、実のところは精密検査の結果肺気腫の兆候がみられ、今やめれば生活に支障はないが、この調子で喫煙を続ければ肺気腫になると言われたからです。肺の組織は一度壊れたら修復は不可能で、私の場合、肺の上の方がごく一部でしたが損壊していた。歌丸師匠は前掲の記事で、やりたいことはやる、体に悪いからやめるなんてことはしないとヘビースモーカーぶりや私生活の我が儘ぶりを披露していましたが、煙草云々以前に既に人並みの健康は望むべくもなく、だったら体に悪かろうがやりたいことはやろうという考えだったのでしょう。うなぎは大好きだが肉は決して食べないという偏食もあり、それが師匠の命を縮めたのでしょうが、当人もそれは承知の上。だから煙草はからだに良くない云々といった御託をここで並べるのはナンセンス。昨年、個人的なことをきっかけに、健康に長生きし過ぎた人たちの末路を目にして、それが脳裏に強く焼きついて離れないだけに、他人に迷惑をかけず、自身の最期に覚悟ができているなら、煙草を好きなだけ喫えばいいと思うのです。私が煙草をやめたのは、覚悟ができていない―そこに至るまでのことを何ら成していないからです。

 

加藤剛氏といえば勿論「大岡越前」で、家にテレビが1台しかない子供時代、月曜の夜8時は「ナショナル劇場」で「水戸黄門」とローテーションで回っているこの番組以外に選択肢がなかったというアラフォーは私だけではないはず。でもこういった時代劇が子供にとって歴史を今よりも身近なものにしていた。

加藤氏は私の中では他にも多くのユダヤ人をナチスの魔手から救ったリトアニア大使の杉原千畝をドラマで演じたり、「坂の上の雲」ではロシアとの開戦を最後まで回避しようと動き回った伊藤博文の役が印象深く、94年にはフジテレビ系で「冬の訪問者」という、4話限りとはいえ、視聴率至上時代の中にありながら、明らかにキャスティングも内容も視聴率度外視の、連続ハードボイルドドラマの主役を演じていたりもしました。ちなみに主題歌は米倉利紀の「Fragile」。話はずれるけれど、私が米倉利紀の音楽が好きだったのはこのナンバーまで。以降も長く音楽活動を続けていますが、私の中ではデビューから4枚のアルバムと、その後に「冬の訪問者」の主題歌ということでシングル発売された「Fragile」までが好きで、4枚のアルバムも「Fragile」のシングルも未だ持っていて時折聴きますが、以降の作品は音楽的に自分には合わなかった。


米倉利紀 Fragile

加藤剛氏に話を戻すと、息子(夏原遼か?)がトーク番組で、加藤氏がカップ焼きそばを作っている息子を見て、「どうして焼きそばなのに焼かないんだ?」と息子に訊ねるというエピソードを披露していたのが強く記憶に残っています。親父は世間知らずだというネタなのでしょうが、確かに”焼き”そばなのに焼かないというのはおかしい。「うーん」と唸りましたね。

 

子供の頃に石原裕次郎美空ひばりが亡くなってもピンと来ないのは当然でも、いかりや長介が亡くなった当時もあまり感傷的にはならなかった。ブラウン管の向こうでしかお目にかからなかった人物でも、その死に感傷的なるのは、やはり自分が過去を振り返ることが多くなったせいか。

 両名のご冥福をお祈り致します。