粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

名古屋競馬・加藤利征の競走馬虐待疑惑について

ここ最近、世界中で分断と憎悪の嵐が吹き荒れ、うんざりしております。地上波で弁護士や落語家の口から「反日」なる言葉が出てくる御時世なのですから。立川志らくという落語家は、自身を賢人か何かだと思い上がっていないか?落語家というのは、そんなに御大層な職業なのか?某美容整形外科医もそうですが、なまじ有名人がツイッターというものをやりだし、「いいね」かリツイートか何かしらんがいっぱいつき、スポーツ新聞が取り上げると、自分が世論をリードしているのだと錯覚してしまうらしい。

閑話休題名古屋競馬のHPにこんな記事が。

令和元年度第10回1日目 加藤利征騎手の行為について|ニュース一覧|金シャチけいばNAGOYA

レースに負けた直後という丹羽克輝のときと異なり、確かに本馬場入場時、馬もおとなしく、加藤利が馬に暴力をふるう動機は思いつかない。頭にとまった虻を払い落とそうという当人の説明には一理あります。ただ動画を見ましたが、虻を払い落すにしたってここまで乱暴に叩く必要ないだろう、ということと、自分の顔にへばりついているならともかく、競走馬の頭の上に虻がとまっていることが問題なのか?と。一部吸血虻がいて、それだったら問題ですが、馬体に虻がとまること自体は普段からよくあることで、殊更馬が気にするとは思えないのですが。結論としては灰色。レース前に個人的にむしゃくしゃしていることがあり、腹いせに馬にあたったという可能性も否定できない。馬がちょっと頭ももたげかけた瞬間バシンと叩いているタイミングが気になるのです。と思うのも、私自身世間の瘴気に毒されて、些かむしゃくしゃしているから。物にあたったこともある。ただ、何かを一心不乱に攻撃しないと気が済まない世間の風潮があまりに馬鹿らしくみえて、平常心を心掛けております。

ちょっと驚いたのは、丹羽克輝の件と異なり、名古屋競馬が早い段階で公式の見解を出したこと。丹羽の件については、私も名古屋競馬場に質問状を送り、完全に無視されましたが、名古屋競馬とは違う元競馬関係者の方曰く、正式にルールとして記されていないことで騎手にペナルティを与えることはできないということ。罪刑法定主義です。ここで競馬場が大騒ぎしてしまうと、曖昧な前例を作りかねない。

とはいえ、やはり私は丹羽と競馬場には何らかの見解と回答が欲しかった。無論、私個人に対してではなく、HPなり公の場で。丹羽も、もしあの時点で、ブログやツイッターをやっている同僚の騎手を通じてでもよかったから、謝っていれば、「人間誰にでも過ちはある」と私も矛を収めたでしょう。しかし何事もなかったかのように騎乗をする丹羽、乗せる調教師ら関係者、なかったことにしようとする名古屋競馬に怒り、事件が発覚した2016年4月半ばから今年のはじめまで約2年7ヶ月の間、名古屋競馬の馬券は一切購入しませんでしたし、当然競馬場にも足を運びませんでした。新人の加藤聡一が活躍しようが宮下瞳が復帰しようが一切興味をおぼえませんでした。

 

blog.livedoor.jp

前のブログに記したものです。ちなみにコメント欄にあるように、記事の前半にあるタカラハニーは有志の方により引き取られ、現在も淡路島で健在のようです。

(前のブログは将来すべてを削除する予定ですので、その際は当該記事を全文このブログに移して、ここにリンクを貼ります)

今年から名古屋競馬の予想、馬券購入は再開しましたが、未だ名古屋競馬に対してはわだかまりがあり、丹羽が出場するレースは、予想を出しません。「名港盃」を買ったのは、明らかに丹羽の騎乗馬が上位に来ることはないという確信があったからで、それでも1点100円、しかも現地に居ながら中間手数料を取るオッズパークを通じて。丹羽が馬券圏内に来る可能性がある馬に騎乗する重賞は、やはり買わないでしょう。

何故ここまで頑なかというと、上掲の記事にも記したように、競馬ファンとしてポリシーがあるから。競走馬が経済動物であることは承知しています。そりゃあ引退後、タカラハニーのように何らかの形で生を全うできる馬が一頭でも多ければいいのですが、大多数の馬が処分されることは仕方ない。ならばせめて現役である間は大事に扱って欲しい。これは松樹剛史氏の競馬小説—というより競馬を舞台にした青春小説「GO-ONE」で弱小地方競馬場(高知と荒尾を足して割ったと思われる)に所属する若手騎手である主人公の祖父の日下部調教師が、中央の若手騎手に語った言葉が代弁してくれています。

「強い馬も、弱い馬も、みんな成長している。身体が弱くて、走るのが遅い馬でも、待っていればいつか充実の時期が訪れる。(中略)もちろん、勝てない馬はいずれ厩舎を去る。(中略)僕たちはその馬を救おうとはしない。見捨てていると言われるかもしれない。だけどその馬が自分の可能性をいっぱいに花開かせて、輝く瞬間を迎えたことは、僕たちの胸の中にしっかり留め置かれるんだ」

(松樹剛史「GO-ONE」集英社文庫)

馬が現役である間は「輝く瞬間」が訪れるよう、ときには優しく、ときには厳しくしながらも心を込めて馬に携わらなければならない。私の名刺に「勝ったら全部馬のおかげ 負けたら全部騎手のせい」と記しているのもそういったポリシーから。きれいごとだと言われればそれまで。しかしきれいごとを排除して本音だけになればドナルド・トランプアメリカのような「野生の王国」になる。京アニの放火犯を思いつく限りの罵詈雑言で罵りながら、「表現の不自由展」に「ガソリン携行缶を持ってお邪魔する」と明らかに京アニ放火事件を連想させる脅迫者には同調する。私だって韓国や文在寅には言いたいことが山ほどある。しかし、理性による建前やきれいごとが人間を人間たらしめているのです。日下部調教師の言うことがきれいごとであっても、それを否定したら競馬は丁半博打と同じになってしまい、動物を虐待する分更にタチの悪いものと糾弾される。

前掲の名古屋競馬の公式HPの、

—当然ながら、競走馬に対しての暴力行為は許されるものではありません。
今後とも名古屋競馬関係者一同、競走馬への暴力行為を行わぬよう徹底をしてまいります。

は実に白々しく聞こえるけれども、それでも白々しいきれいごとを実践することが大切なのです。

とはいえ今回名古屋競馬が加藤利の件で公式に見解を述べたのは、丹羽克輝の件であまりに非難が多かったからでしょう。でも非難の中にはどこか集団ヒステリーを煽るようなものもなきにしも…でした。そのときはやり過ごしたものの、再び加藤利による虐待疑惑が出て、「表現の不自由展」の顛末のような更なる感情的な非難の嵐に巻き込まれるのを怖れた結果として見解を出したとすれば、複雑な心境ではあります。やはり丹羽のときに名古屋競馬は動いて欲しかった。