粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

今も京都競馬場に蹄跡を残している「フミノ」

土曜日のマーガレットS、夜仕事から帰ってVTRでレース観戦、四位洋文騎乗のグランフェスタ殿負けを見て

 下手糞!引退しやがれコノヤロウ!

と罵ったが、もう既に引退しているというオチ。また最低人気が馬券に絡んでいるし。実はその前の週、最後の重賞騎乗である京都牝馬Sでも彼の騎乗馬の単複応援馬券を買っていたのですが、結果は屁も出ない有様。まあ、最後に大儲けさせてくれるというのも四位らしくない。コイツは最後の最後までこういうヤツなんだ、と納得がいく、というか無理やり自分を納得させる。

 

そういえば先日「フミノ」が競馬界から消える話を記したのですが、肝心な馬を一頭忘れていました。2005年の小倉サマージャンプを制したフミノトキメキ(目野哲也厩舎)。一時期荒尾競馬にも在籍していた。

2007年の落馬による脳障害で引退を余儀なくされた石山繁騎手とのコンビで活躍。脳に障害を負った石山騎手と家族との壮絶な闘いの日々は、奥さんが「落馬脳挫傷」で記していますが、それでも騎手復帰を目指していた。フミノトキメキ引退の報に接したときは、「せめて石山復帰までは待ってくれ」と思いました。かつてはビワハヤヒデファレノプシスを擁しながらもドン底に喘いでいた所属の浜田光正厩舎も、皮肉にも石山不在の最晩年はホッコーパドゥシャがOPに昇級する等、少し息を吹き返しました(ホッコーパドゥシャ新潟記念を勝ったのは浜田師引退から半年後、管理していたのは村山明師)。

石山騎手は残念ながら復帰は叶わず、2009年2月末に正式に引退。同年師匠である浜田師も定年で引退し、セレモニーにスーツ姿の石山騎手が駆けつけたシーンはグッとくるものがありました。そのときは日本騎手クラブの提案で、即興で石山の引退式も行ったとか。花束を渡したのは藤田伸二騎手。石山元騎手はその後も2017年まで障害者馬術の競技者だったそうです。

JRAのHPで、京都競馬場レコードタイム一覧(データファイル→中央競馬レコードタイム表)を見ると、最後にある「ダートコース・障害3歳以上」の3190メートルでフミノトキメキ石山繁の名があります。2007年1月13日。障害OPの牛若丸ジャンプSで、同馬は前走中山大障害で3番人気に推されながらも12着と大敗。そのときの鞍上は石山ではなく熊沢だったのですが、牛若丸JSでコンビ復活。中山大障害の大敗で見限られたのか、7番人気ながら、それを覆してレコード勝ちをしました。フミノトキメキ石山繁は、今なお京都競馬場に立派な蹄跡を残しているのです。石山騎手が落馬し、意識不明の重体となったのはその翌月の2月24日の障害OP。因果というものなのか、落馬したサフランリザードは、その前走、フミノトキメキがレコード勝ちをおさめた牛若丸JSに出走しており、そこでも落馬競走中止(鞍上は内田浩一騎手)していたのです。