粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

「日本の喜劇王」志村けん氏を悼む。

形用し難い結果に終わった高松宮記念の翌日、志村けん氏の訃報に接しました。

コロナウイルスの陽性反応で、映画の主演を辞退するという報に接したとき、延期ではなくなぜ辞退なのか?と訝しく思っていたので、薄々容態が芳しくないのではとは思っていましたがやはりショック。ネットのコメント欄では、嫌中のダシに使う一部の糞阿呆を除いて、皆さん一様にショックと述べていますが、その度合いは団塊ジュニアが一番強いのでは?

私が幼かった頃、テレビ界では「土八戦争」という熾烈な争いが、土曜日の午後8時を舞台に繰り広げられていました。かたや一時「お化け番組」とまで言われた「8時だョ 全員集合」、かたやビートたけし明石家さんま島田紳助片岡鶴太郎山田邦子等、今では考えられないメンバーでそれに挑む「オレたちひょうきん族」。まだビデオが家庭になかった時代、私は前半ドリフ、後半ひょうきん族(タケちゃんマン)でした。やがて「ひょうきん族」が長年続いた「全員集合」に引導を渡す形で、「全員集合」は終わったのですが、ザ・ドリフターズのうち子供たちに人気がある加藤茶志村けんが残って「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」がスタート、視聴者ビデオ投稿コーナーが好評で、「ひょうきん族」を倒した。素人がハプニング映像で笑わせたり、可愛い映像でほっこりさせるというスタイルは、今考えるとYOUTUBEの原型ともいえます。ただ、加藤、志村両名は当初、自分たちだけ残って看板番組を持つのには怒りに近い抵抗感があったそうです。

いかりや長介氏の死に関しては、最初はそれほどショックではなかったのですが、後になって喪失感が拡がっていった。年をとり、昔を偲ぶことが多くなってから、その「昔」にテレビで楽しませてもらった人たちの訃報に接し、寂しい気持ちになる。今思うと火曜日に不定期で放送される「ドリフ大爆笑」も楽しみでしょうがなかった。YOUTUBEなんかでドリフのコント映像は幾らでもあるのでしょうが、今はちょっと見る気分になれない。見たら多分泣く。

志村けん氏の笑いは、くだらないけれど誰も傷つけないし何の社会性もない。純粋にばかばかしくて笑うだけ。時の権力への抵抗や社会風刺に「笑い」の価値を求める向きもあり、それはそれで間違っていないとは思いますが、何の含みもない純粋な「笑い」は普遍性を求められ、非常に難しい。コメディでアメリカの「マルクス兄弟」を思い出したのですが、志村氏と彼らの違いは、志村氏は自らの「笑い」に子供も笑えるという基準を課していたのではと思います。だからチャップリンやモンティパイソンのような社会性や批判精神はないし、マルクス兄弟ほどスピーディーで攻撃的でもない。そしてそれは恐ろしく困難な創作。何の助けもなく、自分のセンスとアイディアだけで勝負しないといけないのだから。しかも相手は何のバイアスもない子供たち。

そういったこともあり、心が汚れ、捻じれてしまい、何よりテレビを見なくなった私は晩年の志村けん氏の笑いは見ていません。ただ、普遍的な笑いを求めていた以上、私が笑っていた頃と晩年とで、さして芸風は変わっていなかったでしょう。今は「全員集合」の前半のコントで笑えても、「バカ殿様」や「変なおじさん」では笑えない。前者はいかりや長介氏が仕込んだ、緻密でスピーディーなもの。後者はどこかアバウトで間延びしたところもあるからですが、それが日本人っぽくもある。中国の報道は志村氏の訃報で「日本の喜劇王」と紹介したそうですが、ありきたりだけど言い得て妙。「世界の喜劇王」のチャップリンとは一線を画した日本ならではの「喜劇王」。

そういえば「だいじょうぶだぁー」や「変なおじさん」、あとバカ殿の喜ぶときの変な踊りと最後の「照れるなぁ」、あのようなリズム感こそが子供心を掴む、志村氏の強力な武器だったと思います。「ラッスンゴレライ」や「なんでかなー」、「そんなの関係ねー」といった、一時的であれヒットしたお笑いはリズムがあり、そして子供たちを中心に爆発しました。何より私が志村けん氏で一番印象に残っているのが、加藤茶とのヒゲダンスなのですから。


ヒゲのテーマ

特に持病はなかったらしいのですが、酒と煙草(最晩年はやめていたらしい)で抵抗力が弱くなっていた。初主演映画の監督になるはずだった山田洋次氏が「自身を日本の宝だともっと自覚してくれていたら」とこぼしていたからには、よほど不摂生だったのでしょう。ただ不摂生は無から有を生み出す表現者たちの宿業ともいえます。遊びは芸の肥やしというより、遊ばないと見えない何かに圧し潰されてしまう。

でも、70歳は早すぎる。