粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

岐阜県海津市の「酒の浪漫亭」

ご無沙汰しております。ここ数日、朝起きてコーヒー一杯飲んでシャワー浴びて朝飯食って仕事行って帰って来て夕飯食って寝る→朝起きてコーヒー一杯飲んで……という生活が続いておりました。人間とは案外というか案の定というか脆いもので、三ヶ月くらいのコロナ禍で人心すっかり荒廃し、巷に溢れるのは犯罪のニュースか某お笑い芸人の醜聞ばかり。そんな中、自分は人の道を踏み外さず、真っ当に働いているんだなと感心したいところですが、そのせいで、夜には心身共に疲れ果てていて、ブログの更新も相変わらず滞りがち。

自分の生活が特別変化したわけでもなく、幸いにも収入が途絶えることもない。とはいえ、日常生活の中で行動範囲が制限されているというのはボディーブローのように効いてきます。笠松競馬場に行く度に、尻の毛まで全部抜かれて赤ちゃんのようなツルツルのおしりになり、魂の洗濯どころか最後はどす黒く淀んだ澱を溜め込んで家路についたものですが、それでも行けると行けないでは全然違う。病気になったときに健康の有難さを噛みしめるように、当たり前のことが当たり前でなくなって、はじめてその大切さを思い知らされる。

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そんな中で時間を作り、先週の金曜日、岐阜県海津市にあるリカーショップ「浪漫亭」をshugoro氏、S氏(郡上八幡市在住)とともに訪れました。一見しただけでは酒屋とはわからない建物ですが、

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(写真は店主の許可を得て撮影しています)

清酒、焼酎、ワインで、私のような貧乏人でも買えるものから、これは無理といった高級なものまで多く取り揃えられています。私の地元の酒造会社で作られている清酒もありました。

競馬ファンには有名な「清酒オグリキャップ」や「オグリキャップサイダー」、「オグリローマンサイダー」を販売しています。店主の舘徹さんが生前の小栗孝一氏やそのご家族と懇意にしていて、オグリキャップという名馬が存在していたことを、記録や映像だけではなく、何か形あるものを通して後世に残したいという小栗氏と店主の思いが、清酒やサイダーになった。「浪漫亭」という店名とオグリ"ローマン"とは繋がりはないのですが、オグリキャップオグリローマン自体が競馬の歴史の中における「浪漫」の物語—浪漫は、英語のromanを夏目漱石が漢字にあてたもの—。

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店主の名からとったオグリテツ(オグリローマンの仔。父トワイニング)が大井競馬で勝利したときの写真と、それを記念した蹄鉄。鞍上は今や南関のトップジョッキーのひとりである矢野貴之。蹄鉄は岐阜県関市で作られたもので、日本の競馬で使われる蹄鉄では関市の金属加工会社が最もシェアを占めている。競馬ファンでありながら店主に教えられて初めて知り、己の無知を恥じた次第。

www.sakenoromantei.com

海津町は実は競馬とは縁が深く、あの安田伊左衛門氏の邸宅も近くにあるそうです。

店主にはその後、笠松だけでなく中央競馬にも飼い葉を販売している飼料会社の倉庫を案内して頂き、社長を紹介して頂いたのですが―訪れる少し前に笠松の後藤正義厩舎が飼い葉を取りに来ていたらしい—、倉庫の写真はまた後日。実物を見ると、思っていたものとは全然違うということをここでも思い知らされた次第。百聞は一見にしかず。

 

ただ、帰りの電車に揺られながら店主との会話を反芻し、ある危惧に襲われました。

これは店主だけでなく、気づいている人も結構いるのですが、コロナ禍の中で、ネットを通じてステイホームでギャンブルができる地方競馬は「勝ち組」(私はこの言葉は嫌いだが)といってもいい。騎手たちの多くはスタンドに観客が詰めかける中で騎乗したいと思っているでしょうが、もしかすると競馬場の主催者—特に事務方はこのまま無観客競馬が続くことを望んでいるのでは、と。

経費が嵩まないし、イベント等面倒な「客寄せ」を考えなくてもネットを通じてお金が入ってくる。事務方が一番嫌う「面倒事」は、無観客競馬の方が通常開催より起こるリスクがずっと少ない。コロナ禍の前にそれに気づいていたのが、弥富に移転を予定している名古屋競馬。弥富に移転すれば競馬場に来る人の数は大幅に減少するのは承知のはず。しかし名古屋競馬改め弥富競馬は、ナイター開催にある種の幻想さえ抱いていて、交通アクセスが不便な弥富に、経費がかかる送迎バス等を用意して客を呼び込むということは一切考えないでしょう。

無観客競馬によって競馬場は、禁断の果実の味を知ってしまったかもしれません。コロナウイルスが猛威を奮った後、人は従来の生活スタイルを改めなければならないとあちこちで言われていますが、競馬場もその「大義名分」のもと、ファンとの距離を遠ざけてしまうのか。今後、競馬場のあるべき姿で、ファンと主催者、そして現場の人たちの三者で乖離が起こるかもしれません。