粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

笠松競馬からフランスのトップジョッキーが生まれるかも…という話

8月9日の競馬の結果

岩手競馬クラスターカップ」…ハズレ

1着 8番リュウノユキナ(1番人気)〇

2着 3番サイクロトロン(5番人気)△

3着 10番ヒロシゲゴールド(2番人気)◎

勝ちタイム 1:11:1(良)/昨年の勝ちタイム 1:08:5(マテラスカイ・良)

コースレコード 1:08:5

 

まあ…交流重賞の難しいところで、中央勢での決着濃厚な場合、三連複だとトリガミの可能性が高い。(今回は1,000円だったが「マーキュリーカップ」は400円だった)。こうなると三連単勝負になりますが、これもあまり手を広げると、鉄板決着だとトリガミになってしまう。買い目を絞るとこの有様。一向に出口が見えない暗い暗いトンネルの中。

 

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7月20日付の朝日新聞朝刊の岐阜県版ローカル記事。

笠松競馬で厩務員として働くタイ人と日本人のハーフの若者が、フランスの騎手養成学校に合格したという記事。

名前をパントゥラ晃政君。アンカツを生んだ愛知県一宮市出身。フランスの騎手養成学校に合格するまでの過程が面白い。普通、騎手を志す若者で親族に競馬関係者がいない場合、何かしらのレースに感動して騎手になりたいというのが定番なのですが、彼の場合、最初は馬ではなく象に乗りたかったのだという。祖父母のいる父の祖国タイに行く度、観光施設で象に乗り、象使いに憧れたそうなのですが、象使いは今では観光客相手のごく限られた範囲でしか仕事がなく、あまり将来がないとタイ人の父に反対された。それで今度は馬。どうしていきなり象から馬になるんだ!?と思わずツッコミたくなるのですが、JRA競馬学校は不合格、地方競馬の教養センターは体重制限で受験すらできなかった。安城の農林高校に進学したのですが、「競馬の本場を見てみれば」という日本人の母親の勧めに従ってフランス語学留学に。それが結果としてフランス滞在中に受験した養成学校の合格に繋がった。記事によればその学校からクリストフ・スミヨンやミカエル・ミシェルが出ているという。養成学校の試験で体力テストはトップクラスだったらしい。

―「日本やアジアから入学するのは、君が初めてだよ」。面接担当者にそう言われた。本来なら9月が入学時期だが、受験当時はまだ高2。「日本に戻って卒業したい」と掛け合い、入学を1年延期してもらった。

馬の扱いを覚えながら渡航費用を工面するために今年高校卒業後、笠松の栗本陽一厩舎に厩務員として所属。午前中は笠松競馬場、午後からは乗馬クラブ。9月の入学のため、8月に渡仏するらしく、彼が所属している間は笠松八百長事件で長期の開催自粛中にあり、残念ながらレース前に馬をひいてパドックを周回する姿を見ることはなかった。

栗本師曰く、

「彼には馬に乗るセンスもやる気もある。羽ばたいてほしい」

パントゥラ君は

「弱い馬でも勝たすことができる騎手になりたい。大きなレースに勝つと、種牡馬や母親になれて長生きできる」

記事ではその言葉の奥にあるものは触れていなかったのですが、笠松は自粛以前から馬のレベルは底辺。多くの馬が「長生き」できない現実を知ったのでしょう(ちなみに栗本師は一連の不祥事には関係なく、処分は一切受けていない)。

―5歳で入ったボーイスカウトで野外活動を通して自立心を養った。慣れない環境でもやっていく自信はあるという。

競馬学校や教養センターで最後まで残れるかどうかは、メンタル面も大きいと思う。その点では彼の言葉は頼もしい。中央や地方の騎手養成学校では受け容れてもらえなかったのに、スミヨンやミシェルを生み出したフランスの騎手養成学校には合格できたというのは何とも皮肉。将来トップ騎手になって日本の中央競馬に短期騎乗で来て、ぬるいJRAの騎手たちから騎乗馬と賞金をどんどん奪って欲しいし、その前に笠松競馬で短期騎乗して欲しい。競馬学校や教養センターの関係者が、彼を取らなかったことを激しく後悔するような存在になってくれればこのうえなく痛快。

今でも笠松競馬は廃止しろという人は結構いますが、そういう声に晒されている人たちの中に、こういう将来を持った若者がいたという話。

(太字は記事から引用。朝日新聞・荻野好弘記者執筆)