粕本集呆の馬事放言

「粕本集呆の辛口一献」に替わるカスPこと粕本集呆の新ブログ。主に競馬関連中心ですが、ニコマス活動再開も企図しております。

名古屋競馬場が金曜日で終了。

3月6日の競馬の結果

中央中山「弥生賞」…ハズレ

1着 10番アスクビクターモア(3番人気)

2着 7番ドウデュース(1番人気)〇

3着 6番ボーンディスウェイ(9番人気)△

 

チューリップ賞で止めておけばよかったorz。今週は「名古屋大賞典」、来週は高知「黒船賞」、笠松「マーチカップ」がある(来週笠松は開催できるか?)ので、次回の中央競馬は休ませてもらいます。

 

名古屋競馬場が今週金曜日の開催で最後になります。廃止ではなく弥富への移転。所謂「土古(どんこ)」での開催が最後ということに。

初めて名古屋競馬場に行ったのが2004年の「名古屋グランプリ」で、勝ったのは岡部幸雄鞍上のワイルドソルジャー岡部幸雄を生で見たのはそのときが最初で最後。当時は名古屋に通っていたのと、まだ地方競馬のネット購入がなかったので、交流重賞の馬券を買うために名古屋競馬場に行ったこともしばしば。特に「ジャパンダートダービー」は、夜のスタンドに皆集まって、あのドットの欠けた「グランビスタ」とかいう当時既にもうオンボロだったビジョンに目を凝らしてレースを観戦しました。競馬が面白くて仕方なかった頃のいい思い出です。2005年の「JBC」名古屋開催は現地に行ったのですが、観客がキャパシティを超えていて、締切で馬券が買えなかった客たちの怒声があちこちで聞こえた。「JBCスプリント」では期待されていなかった(?)地元馬レイナワルツが激走してスタンドを沸かせました。あのときの観客の驚く様子は、未だ記憶に鮮明に残っています。

実のところ、笠松よりも名古屋競馬場の方に色々な思い出がある。「サンクスホースデイズ」で角居勝彦調教師(当時)と言葉を交わしたこともあれば、マイケル・ジャクソンにお願いして写真を撮らせてもらったこともあった。当時は画素の悪いコンパクトデジカメだったのですが、写真を整理すれば出てくるかもしれない。

笠松競馬の客と違って名古屋競馬の客はヤジがひどかった。とはいえ眉をひそめるようなものではなく、どこかしらユーモアがあった。例えばいつぞの交流重賞、騎乗してパドックを周回する安藤勝己に向けて、

アンカツ、頑張らんでええぞ」

要はアンカツの馬を切ったおっちゃんの声援(?)。名古屋は笠松と違ってパドックでの客と騎手の距離がかなり近い。内田利雄(現・浦和)にカメラを向けると杉良太郎ばりの流し目で応えてくれたこともありました。毎レースパドックに表れて吉田稔を「八百長!」と罵りながら、そのくせ毎レース吉田稔で勝負していた爺さんには、周りの人も半分呆れ、笑っていました。一番最近だと、老夫婦が並んでベンチで競馬新聞を見つめ、お婆さんの方が滔々とレース展開と予想を語っていた。

 

以前は笠松競馬よりも名古屋競馬の方に親近感を持っていたのですが、いつの間にか名古屋競馬が遠ざかり、丹羽克輝のメイショウコルシカへの暴力で完全に心が離れた。気づいている人はいないでしょうが、笠松競馬の重賞は必ず予想するのに、名古屋競馬の重賞はたとえ交流重賞でも予想をするときとしないときがあり、予想しないときはそのレースに丹羽が出場しているときです。予想しないということは馬券も買わない。笠松八百長も悪質でしたが、競走馬への暴力はそれ以上に許せない。あれを「調教」と言い逃れする丹羽と、罰するルールがないとはいえ言い逃れを認め不問に付す名古屋競馬には呆れるとしか言いようがなかった。とはいえ、ロシアへの経済制裁と違って私一人が豆券買わなくてもどうということはなく、むしろ私自身の競走馬への敬意をこのような形で貫いているだけなのですが。

弥富移転後、「弥富競馬場」に行くかどうかは微妙。15分置きに出るあおなみ線で、「名古屋競馬場前」を降りて徒歩5分足らずの土古に較べ、弥富は名鉄だと快速が止まらず、ほぼ1時間2本。JRでも名古屋から亀山方面だと9時代から15時代は1時間2本しか止まらない。まあ合わせて1時間4本といえなくもないが。しかもそこからシャトルバスに乗らなければならない。園田や金沢と同じように、話のタネに一回行って終わりか。

何より、弥富移転は将来的にはナイター開催によるネット投票層の拡大を狙ってのことなのでしょうが、そのためにあの騒がしくもどこか憎めない、土古の年配のファンたちを置き去りにしていくような感じが拭えない。彼らがいない新しい競馬場は、改装して大きく広く、そして無機質になった地方の市街地の駅に通じるものがあります。